先日、街で友人へのプレゼントを買って、店を出たときのことだ。
交差点で信号待ちをしていると、ポツリ、ポツリと雨が降りだした。
傘を開こうとすると、
後ろから「お客さま」と呼ぶ声がした。
自分のことだろうか、と思いながら振り向くと
先ほど、プレゼントを買った店の店員が立っていた。
「プレゼントが濡れてしまうといけないので…」
彼女はビニールカバーを私の紙袋にかけた。
「わざわざ、追いかけて来てくれたのですか? ありがとうございます」
という私に、
「信号待ちをしているお客様の姿が見えたので…」
と答え、彼女は一礼すると、店へ戻った。

その日は、強い雨が降り続き、ずいぶん濡れてしまったが、
彼女のビニールカバーのおかげで、プレゼントを濡らすことなく届けることができた。
そのことを友人に話すと、
「今時、珍しい店員さんだね」
と感心していた。

雨の日には、ビニールカバーをかけた買物袋をよく見かける。
雨天時は、商品にビニールカバーをかけるというマニュアルがあるに違いない。
スタッフの中には、「荷物が濡れてしまう」、
だから「ビニールカバーをサービスしよう」ではなく、
「雨が降っている」から「ビニールカバーをサービスしなきゃ」
という思考になっているものもいるだろう。
しかし、交差点まで追いかけて来てくれた彼女のそれは、 前者だっただろうと思った。

友人宅の帰りに、妻から頼まれていた買物をするために酒屋に立ち寄った。
顔見知りの店員が、娘に、と非売品のジュースをくれた。
「ありがとう」と私は受け取る。
いつも娘のことを気にかけてくれる酒屋の気持ちがうれしかった。
気持ちがあって生まれるサービスは、人を幸せにする。
冷たい風が吹く夕方だったが、ポケットはポカポカと温かかった。

冬物語

先日、友人カップルの結婚式に招待された。
途中、ふたりのなれそめを紹介するビデオが流れた。
結婚を意識したのは数年前の冬、初めてふたりで温泉旅館へ出かけた時だそうだ。
ビデオの中でふたりは幸せそうな笑顔で思い出を語っていた。

つきあい始めてまだ浅いクリスマス前の休日、
彼女と初めて二人だけで旅行に出かけることになったそうだ。
場所は昔ながらの温泉旅館。
今日にでも初雪が降るのではと思われる、かなり冷え込んだ日。
ふたりとも少し緊張していて車内では会話も途切れがちだった。
「ぎこちないまま車の中で3時間、
旅館に着いて仲居さんの笑顔を見た時には救われましたよ」
と友人は冗談を交えながら続けた。
ふたりは温泉で温まった後、夕食をとった。
料理は、山海の幸をたっぷり使った寄せ鍋。
部屋中に広がる鍋のおいしそうな匂いに友人の箸はどんどん進むのだが、
彼女は恥ずかしがっているのか、ほとんど食べていない。
友人は彼女に魚の話をしたそうだ。
海岸でとれるミナという小さな貝をおやつ代わりに食べていたこと。
天草ではお祝いの席でウツボという大きな魚を食べること。
はじめ口数の少なかった彼女も次第に笑顔で話しはじめ、箸も進み出した。
鍋が空になっても会話は尽きることがなく、ふたりは散歩に出たそうだ。
この時、彼女がさりげなく近寄ってきてそっと友人の手をとったらしい。
彼女は画面の中で
「冬なのに心も身体もぽかぽかで、とってもいい気分だったんです。
温かい鍋料理と温泉が、私の心をほぐしてくれたのかも。
それにちょっと酔っていたし…」と無邪気に笑っていた。
「つないだ彼女の手がとても温かかったんです」
友人はこの旅行をきっかけに彼女と家族になりたいと思ったという。

今日も「五足のくつ」には全国からたくさんのお客様がいらしてくださっている。
「五足のくつ」でもこんな心温まるストーリーが生まれているのだろうか。
わたしたちの使命は「お客様の旅のお手伝いをすること」。
今日の夕食には鍋料理も出るそうだ。
客室の清掃も終わり、温泉もちょうどいい湯加減でお客様をお迎えできるよう、
スタッフが最終確認に心を配っている。
「五足のくつ」で素敵な冬物語が生まれますように

旅行家になる

知人の娘が今年、大学を受験するという話を聞いた。
彼女は、獣医になるのが夢だそうだ。
小学生の頃から言い続けてるんだから「長年の夢」ってやつだな、と言う彼に、
それだけ思いがあれば、きっとうまくいくよ、と私は答えた。

その話を聞いた夜、子どもの頃の夢を思い出した。
小学生の頃、「ガリバー旅行記」を読んだ私は「旅行家」という職業があるのかと
びっくりしたことがあった。
職業とは「医者」や「先生」などを指すものであり、
「旅行」は、道楽や遊びでするものだと思っていたからだ。
本の中で、
旅に出たガリバーは、「小人の国」「巨人の国」などたくさんの国を旅して回る。
親切な人々に出会い、温かいもてなしを受けたり、珍しいものを発見したり…。
楽しい体験ばかりではない。
「危険な人間」と見られて命を狙われる場面もしばしばある。
それでもガリバーは、旅に出ることをやめずに次々に新しい旅へ出かけていく。
旅行は、そんな魅力がいっぱいだ。
いろんなことを吸収して、考えが深まり、成長していく…
自分の中に今までなかった何かが生まれるのが旅行の醍醐味だ。
旅館を継いだ今でも、
私は、心はいつも「旅行家」でありたいと思っている。

ふと、気がつくと、
膝の上に座っていた娘がじっと自分の顔を見詰めていた。
この娘の夢は何だろう。
いつの日か、一生見続けられる夢を持ってほしい…と思った。

天草の少女

葡萄の棚と無花果(イチジク)の
熱きくゆりに島少女
牛ひきかよふ窓のそと、
「パアテルさんは何処に居る。」

「お茶でもいかがですか?」
資料室で、「五足の靴」に読み入っていた私は、その声でふと我にかえった。
事務員らしき若い女性がテーブルにお茶を置き、私の方を見た。
「今日は雨だから、来られる方も少なくって…」
「あ、ありがとうございます」
私は本をテーブルに置き、湯のみを手に取る。
「最近は、郷土関係の作品を読まれる方って少ないんですよ」
私の読んでいた本を見て事務員はそう言った。
「五足の靴」は、北原白秋や与謝野寛らが西日本を旅した様子をつづった紀行文であり、
その中に、彼らが天草の宣教師を訪ねた場面も登場する。
おもしろい作品ではあるが、そこまで大衆的とはいえない。
「そうでしょうね。楽しいことは身近にたくさんありますから」
「私も、ここに勤めるようになってからいろんなことを知りました」
「いろんなこと?」
その問いに事務員はうなずく。
「ええ。例えば、今読んでいらっしゃる五足の靴のこととか、『石山』のこと。
聞いたことはあっても、理由や背景など深くは知らないことが多くて」
「『石山』ですか?」
地元では、陶石(陶器の原料)の出る山のことをそう呼んでいる。
天草は全国の約80%を産出する陶石の産地なのだ。
「私の祖父も『石山』で働いていたんです。
天草って何もない、ただの田舎だと思ってたんですが、
そこで切り出された石が陶器の原料になって
全国に運ばれていたなんて、ちょっと驚きました」
事務員はそういうと、よく通る明るい声で笑った。
ただの田舎…
海と山しかない、と言われればそれだけだが、
天草は明治の大詩人たちに多大な影響を与えた土地なのだ。
ただの田舎ではない天草の素晴らしさを多くの人に知らせたい、 私はそう思った。
雨はさらにひどくなったようだ。

「今日はどしゃ降りですね」
「ええ。帰るに帰れなくなりました。
じっくりこの本を読み返してみることにします」
事務員は、明るく、はきはきとしたしゃべりをする女性だった。
明るく、くったくのない豪快な天草の女性は、
ぼっちゃん育ちだった白秋にとって新鮮な存在だったに違いない。
「ごゆっくり」
そう言って立ち去った事務員のいた辺りには、
イチジクの香りが漂ってるような気がした。

夏の夢

山道を登っていくと、海が見える丘の上に出る。
故郷にUターンした友人から遊びにこないか、と誘われた私は、週末を利用して出掛けた。
電車を乗り継いで2時間ほど。
駅からは、手紙に同封してあった手書きの地図を見ながら進んだ。
丘を登ると、目の前には絶景の海が広がっている。空は青く澄んで、
夏の終わりながら涼しい秋の風が感じられる。

「お待ちしていました」
の声に振り向くと、友人の細君が立っていた。相変わらず笑顔が優しい人だ。
「お招きありがとう。お変わりありませんか」
「ええ」
彼女に案内された家は、どっしりとした石造りの館。重厚な雰囲気が漂う。
「やあ。いらっしゃい」
なつかしい顔も迎えてくれる。
「先に、風呂にでも入ってくれ」
細君に案内された風呂は、岩風呂風の造りになっており、
開いた小窓からは涼しい風が入ってくる。
少しぬるめの湯は、2時間以上の旅の疲れを癒してくれた。
風呂上がりは友人との会話に花が咲いた。細君が酒や食事を運んでくれる。
屋敷のこと、風呂のことから話が始まり、学生時代のことまで飛び出した。
細君の料理は、見た目も味も素晴らしかった。
上品な陶器の器に、海の幸、山 の幸が盛られ、
素材の良さが感じられるよう薄く味つけしてある。
酒もすすみ、そのうち、細君も会話に加わった。
「そういえば、お前、自分の店を持ちたいって言ってたよなあ」
友人の夢を思い出した。
「ああ、ここに出そうと思ってね。 準備中だよ」
友人は、うれしそうに言った。
「ここから見る、夕日がいいんだよ。 明日は、海に沈む夕日を見せるよ」
「いいね。楽しみだ」
「そういえば、大学の頃…」

「…社長?お電話がかかってますよ」
目が覚めた。そよそよと吹きぬける風、部屋を オレンジ色に染める夕日。
設計図を見ながら眠っていたらしい。
「ああ、ごめん」
受話器を受け取り、電話に出た。
「おお。元気か?」
驚いた。今、見ていた夢に出てきた友人だった。
「ああ、 久しぶりだな」
「ちょっといい知らせがあってな…」
さっきの夢は、もしかして予知夢になるかもしれない。