朝が来るたびに

「お母さん、プールのタオルどこ?」
「部屋においたよ。なかった?」
子どもたちの声でふと目が覚めた。
時計を見ると6時前。
「もうちょっと寝るかな」
布団をかぶって寝返りをうつと、子どもたちの声はだんだんと遠くなった。

セミの声が聞こえる。
「ラジオ体操の時間だよ」
母の声で起き上がった。
まだ、朝露が残る小学校の運動場に集まり、みんなでラジオ体操をする。
「後で自転車に乗っていつもの場所な!」
仲良しの友達と約束をし、家に帰ると朝ごはんをかきこんだ。
夏休みの宿題をすませ、虫かごに入れたクワガタにスイカをやる。
それから、母の追ってくる声を背にいつもの場所へ向かった。
わたしは朝が大好きだ。
今日は何をしようかな?
海で泳ぎたい、本も読みたい。あれもしたい、これもしたい…。
毎朝、ワクワクしていた。

海が見渡せる展望所、そこがわたしたちの遊び場だ。
照りつける太陽、海から吹き上げてくる潮風が心地いい。
海へ向かって大声で叫んだり、浜で泳いだり、友達と相撲をとったり…。
わたしたちはいつもここで遊んだ。
帰りは、坂道を自転車に乗って下る。
潮風を受けて、ビューっと走った。
自分が透明になって、体中を潮風が通り抜けていくような爽快感。
朝、起きるたびに感じる躍動感は、そんな気持ちよさにも似ていた。

再び、目が覚めた。
子どもたちがわたしの顔をのぞきこんでいる。
「お父さん、病気なの?」
「いいや、大丈夫だよ」
子どもの頃の夢を見ていたようだ。
部屋には明るい日差しが差し込んでおり、いつもの気持ちのいい朝だ。
「よかった~」
安心したのか、子どもたちはバタバタと騒ぎ出した。
「今日は何をするんだ?」
子どもたちに聞いてみる。
「今日はね、学校でバスケットの練習があるの」
「みんなでプールに行くんだ」
にこやかな顔に、彼らも朝が大好きなんだとわかる。
「お父さんは?」
やりたいことが次々と頭に浮かんだ。
けれど、今日はまず、自転車であの坂道を下ってみようか、そう思った。

飛行機

2000年に天草空港が開港し、飛行機に乗る機会が増えた。
天草から福岡までは35分、羽田空港へも乗換えを含め3時間あれば到着する。
陸路か海路しかなかった時のことを思えば飛躍的に世界が近くなった。

タンザニアを旅したときのことだった。
突然、乗るはずだったヨーロッパ行きの飛行機が欠航し、
一週間ほど出発を延期することになってしまった。
わたしは、滞在していたホテルを拠点に毎日あちこちへ出かけたり、
初めて行くアフリカの市場で買い物をしたり、
ホテルのカフェで日がな過ごしたりと思いがけない旅を満喫した。
カフェでは馴染みとなった。
ある日、どこの国から来たのか、と聞かれ
日本から、と空手のマネをして答えた。
すると、めったに出会うことのない東洋人、
しかも初めて見る空手の型に感動したのか、
どこからともなく人々が集まりわたしを取り囲む輪ができた。
あまりの人の多さと歓声の大きさに驚きながらも
わたしは空手のマネをして見せた。
ホテルの部屋に戻り窓を開けると
「空手を見せてくれ」という子どもたちの声が聞こえた。
数にすると1000人は超す勢いだったように記憶している。
まるでハリウッドスターになったような気分だった。
次の日もまた、カフェへ行くと「空手」をリクエストされ、
わたしは出発まで毎日のように空手を披露した。
飛行機の欠航がなければ出会うことのなかったダルエスサラームの人々。
空手家でもないわたしの技に熱狂していた子供たち。

先日、台湾旅行からの帰路、福岡空港で五足のくつの常連のお客様と偶然出会った。
どこに行かれるのか尋ねたら、福岡で催される知人の結婚式に出席なさるとのこと。
天草エアラインで福岡へ飛び、夕方には五足のくつにお戻りになるということだった。
わたしは驚き、そして喜んだ。
飛行機を使えば、五足のくつから福岡までの日帰りの旅は充分可能なのだ。
五足のくつから福岡への外出という滞在の仕方は今まで考えもつかなかった。
お客様から五足のくつの利用法を教えていただいたようなものだ。

旅をするからこそ、新しい出会いと発見がある。
天草エアラインから段々と大きくなっていく天草の島々を見ながら
旅はすばらしい、しみじみと思った。

天草のパワー

先日、崎津天主堂で西洋古楽器のコンサートが行われた。
リコーダーやゴシック・ハープ、ヴィオラ・ダ・ガンパといった
中世ヨーロッパ期の楽器による演奏会だった。
これらの楽器の音色が天草に初めて響きわたったのは16世紀。
8年の歳月をかけヨーロッパを巡った天正遣欧少年使節団によって演奏された。
使節団の一行は、京都・聚楽第にて豊臣秀吉の前でもその音色を披露したという。
それから約500年。
そんな背景もあって、天主堂でのコンサートはさらに感慨深いものがあった。
大勢の人々が、その調べに酔いしれていた。

演奏したのは、日本でも有名な「アントネッロ」というグループだった。
リーダーの濱田芳通氏はこんなことを言っていた。
「心が病んでいるときに、ここ(天草)へ来たら、
もう一度演奏しようというパワーがわいてきた。
だからずっと天草で演奏したいと思っていた」と。

天草が彼に与えたパワーとは何だろう。
たとえば、自然。
東シナ海に浮かぶ奇岩、
どっしりと根をはる樹木、
生命力にあふれた花咲き乱れる大地、
どこからともなく打ち寄せる波、
どこまでも続く広大な海。
たとえば、そこに住む人々。
旅人を笑顔で迎えいれる明るさ、
いつもわたしに安心感を与えてくれる強さ。
たとえば、歴史。
キリスト教の伝来と弾圧、
東アジア諸国との交流。
さらには、朝、窓を開けると流れ込んでくる凛とした空気、
降り注ぐ日差し、しとしとと大地を濡らす雨、
ひとつひとつの星までもがくっきりと見える夜空。
どれも力強い。
きっと、そんな天草の自然な姿が彼らにパワーを与えたに違いない。

近頃、よく耳にする「ロハス」という言葉がある。
五感を大切にする、基準を自分に置く、
地球のものすべてがつながっていると意識する…。
これは、自然や目に見えないものから力をもらい、
信念のまま、自分の足で生きていこうということではないだろうか。
旅にもまた、今までの他力本願による単なる癒しではなく、
自分の力を蓄えるという新しい癒し、
自己治癒力を養うことが求められているのではないだろうか。
わたしは「五足のくつ」という旅館を通して
天草のパワーをより多くの人に注いでいける、そう確信している。

イルカの家族

東京から友人一家がやってきた。
奥さんにやんちゃ盛りの男の子、赤ちゃんを連れている。
そこで、私の家族とともにイルカウォッチングへ行くことにした。

船の上でも赤ちゃんは大人気だ。
私の娘たちも、ほっぺを触ったり、足をつついたりして赤ちゃんを囲んでいる。
一方、男の子は落ち着かない様子で、友人が注意する声も聞こえないようだ。
「娘が生まれてからずっとああなんだよ」
「母親を妹にとられたっていうやつか?」
友人はため息まじりにうなずいた。

「坊主、こっちに来い!」
船を操っていた漁師が男の子を呼んだ。
深いしわが刻まれた穏やかな笑顔の漁師に、男の子はおそるおそる近寄った。
「イルカの話をしてやろう」
イルカの生態について、天草の海について…。
次第に男の子は、漁師の話に引き込まれていく。
「どうしてイルカは船が来ても逃げないの?」
「おじさんたちは、イルカと昔から仲良しだからな」
通常、イルカの群れは漁師に嫌われる。
漁場を荒らし、網をやぶり、漁の邪魔をするからだ。
しかし、天草の漁師は昔からイルカと共存する漁をしてきた。
イルカのかからない小さな網を使い、イルカが好む小魚は獲らず
タイやカレイを一本釣りで仕留め、アワビやウニの素潜り漁を行ってきた。
だからイルカたちは漁船が来ると近づいてきて愛らしい姿を見せてくれるのだ。

「あ、跳ねたよ。イルカだ」
子どもたちが一斉に大海原を見る。
指を差した方向に、イルカの群れがいた。
全身全霊で潮風を受け、深呼吸しながら、イルカの群れを眺めていると、
気持ちが穏やかになってくるのを感じる。
「小さいのもいるよ。お母さんイルカと泳いでいる!」
春先から初夏にかけてイルカは出産シーズンを迎え、
この時期には親子連れのイルカを見ることができる。
「坊主、あそこを見てみろ。赤ちゃんイルカの横にもう一頭小さいのがいるぞ」
それを見た男の子の目がさらに輝く。
「あ、ぼくと妹みたい。うちと同じ4人家族だね」
きらきらと輝く海でイルカの家族は、いつまでも寄り添って泳いでいた。

雨の思い出

今日は、朝から雨が降っている。
わたしは敷地内を見て回ろうと、事務所のドアをそっと開けた。
と同時に、雨の日特有のにおいと湿気が身体を包んだ。
ひんやりとした空気に思わず、深呼吸してしまう。
五足のくつの客室の一部は昔の天草の民家をイメージした造りになっている。
屋根には雨どいがなく、
屋根を滑り落ちるリズミカルな雨音を楽しむことができる。
また、窓越しにはその雨の美しさを眺めることができる。
雨の日は、見慣れた景色がいつもと違うものに変わる。
新緑の木々は雨に濡れて一層色濃くなり、しっとりと濡れた石は重厚感を増す。
森にとって雨は、まさに恵みだ。
樹木も草も石も、すべて生き返っていく。美しさを増していく。
ふと鳴き出した一匹のカエルの声が合図だったように、
たちまち周囲はカエルの大合唱に包まれた。

「神様が雨に姿を変えて、下りてきたんだよ」
祖母の言葉がよみがえってきた。
子どもの頃、雨が降って外で遊べないと、わたしは部屋の中で過ごした。
姉弟と絵を描いたり、本を読んだり、
母親や祖母から昔話を聞いたりして遊んでいた。
ある雨の日、祖母は、雨は姿を変えた神様だ、と話してくれた。
それを聞いた子どものわたしは、びっくりした。
「どうして、神様が下りてきたの?」
「花や木の色を塗り替えにきたんだよ。
雨の日はいつもより濃い色になっているだろう?」
祖母はそう言って、神様の雨の日の仕事について話してくれた。
色を塗り替えるだけでなく、元気にしてあげること。
田んぼや畑に下りて、おいしいお米や野菜を作る手伝いをすること。
川や海に下りて、魚たちの棲む場所が涸れてしまわないようにすること。
祖母から聞いたそんな話を思い出した。

また、カエルの合唱が始まり、わたしは我にかえった。
記憶の彼方にあったそんな話を思い出したのも、雨になった神様の仕業だろうか。
雨の日の五足のくつには、晴れの日とは違う自然の美しさがある。
だからわたしは雨の日は必ず敷地内を歩いて回る。
そして雨の精気を身体いっぱいに吸い込むのだ。

受け継がれるもの

石畳の長い廊下、アーチ型の高い天井、そこに差し込む光。
2005年10月にオープンしたVillaCの「天正」は
まるで教会のようだ、とよく言われる。
「なぜ、こういう造りにしたのですか?」
お客様から問われると、
天草を表現したかったのですよ、と答えるが、
一言では言い表せない想いがある。
「天正」の天井は、天草の大工が職人の意地と技で造りあげたものなのだ。

天草はキリスト教との関係が深く、
島内には、崎津天主堂、大江天主堂という世界に誇るべき教会がある。
VillaCの設計図を見て、これらの教会からインスピレーションを得た大工たちが、
「天草を表現する宿を造るなら木造でやるべきだ」
「当時の天草の大工にできて、俺たちにできないことはない」
と申し出たことで、
当初は鉄を使用するはずだった天井の球面部分を
木材を使ってすべて手作業で行うことになったのだ。
現在の工法だと、R面は軽天工事といって鉄を使う工法が主流。
鉄だと、微妙なR面も設計図通りに簡単に曲げることができる。
それを敢えてノミとカンナを使い、大工の手で完成させた。
それは手間と苦労、何より熱意が必要な作業だった。

崎津天主堂や大江天主堂を建てたのは、鉄川与助という明治生まれの棟梁だ。
若いころから、その腕の確かさで知られ、
生涯で40ヶ所以上の教会、天主堂を建設した。
彼は、勉強熱心で、常に新しいことに挑戦する自由な心を持っており、
同じ形の教会はひとつとしてなかった。
五足のくつを建ててくれた大工たちから、そんな申し出があったとき、
この偉人と同じものを感じた。
鉄川与助という人物の建築への情熱と
天草の大工たちの想いが重なって見えたのだ。

東シナ海に沈む夕日が眺められる、天正のオープンカフェ。
そこで取材をしていた女性ライターは、
「なぜだか敬虔な気持ちになりますね」と言った。
十字架をモチーフにした柵が夕日に照らされて、テラスに影を落としている。
数々の十字が浮かび上がるさまは、
隠れてキリスト教を信仰していた時代を彷彿とさせる。
だから、彼女はそんな気持ちになったのだろうか。

「五足のくつには、天草の歴史の断片が生きている」
お客様をはじめ、訪れる人々からこのような声を聞くたびに、
天草に生まれてよかった、と思う。
それは、わたしの中に「天草」が受け継がれていることの証だからだ。

広がる世界

上海は天草の隣りに位置する。
上海へは何度か旅をした。
今回は、上海から100キロほど離れた蘇州へ足をのばしてみることにした。

町の中に川が流れているというよりは、川の中に町があるといってもいいほど、
水路が発達したこの町は、「水の都」として知られている。
舟に揺られて、周囲に立ち並ぶ家々を眺めていると
中国という広大な土地を流れる川の一部になったような
ゆったりとした気分になった。

君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の唄
水の蘇州の 花散る春を
惜しむか柳が すすり泣く

聞き覚えのある曲に、思わず隣を見ると、
中国人と思しき女性が恥ずかしそうにこちらを見た。
それが、日本に住んでいたことがあるという彼女と話すきっかけだった。
日本人であるわたしを見て、ふとこの歌を口ずさんでしまったのだという。
彼女は、日本で歴史ある建物といわれる名所旧跡を数多く見たが、
どれもが新しい時代のもののように思えた、と言った。
わたしが、法隆寺は1400年もの歴史がある、と言うと、
蘇州は紀元前から栄えてきたのです、と返されてしまった。
圧倒的な歴史の長さ、深さに、はっとした。
日本であれば、重要文化財に指定されるものが、この土地にはあちこちにある。
日本と中国では、尺度が違うのだ。
尺度が違えば、同じ物事でも捉え方が変わってくる。
彼女と話しているうちに、自分の世界観が広がった気がした。
そんなわたしの様子を見て、彼女は微笑み、また歌い始めた。

翌日は、蘇州の庭園を見て回った。
古代、中国の豪族たちは余生をこの地で送ることを夢見た。
かつて上海へ渡った天草の人々も、この庭園を歩いたに違いない。
さまざまな人々が織り成す深い歴史。
そんな、亡き人々の気持ちに思いを馳せ、その当時の町の様子などを考えてみた。
旅がさらに楽しくなった。

海辺の旅籠

旅館名「五足のくつ」は明治時代の五人の詩人たちの旅に由来する。
詩人たちは旅に何を求めていたのだろうか。

私は、よく旅に出かける。
それは旅に出て、その土地に触れることによって新しいことを発見し、
自分の世界を広げていくことに喜びを感じるからだ。
これまでに旅した距離は地球何周分になっただろうか。
それだけの旅を経験しても、前回イタリアを訪れたときのことは鮮明に覚えている。

宿泊したのは、
南イタリアのホジターノという町にある老舗ホテル「イル・サンピエトロ」だ。
「ようこそ。アジアの方?」
「ええ、日本から来ました」
「何泊するの?」
「三泊お願いします」
「まあ、たったそれだけ?もっとゆっくりしていけばいいのに」
飾り気のない会話をしながら、スタッフは宿泊する部屋のドアを開けた。

家具や調度品は特別こだわっている雰囲気はないのだが大きなベッドが印象的だ。
そして、そこからは海が見える。
五足のくつから見える東シナ海とは別の表情を持つ、ティレニア海が広がっている。
「すばらしい景色だ」
思わずため息が出てしまう。
「きっといい夢が見られますよ」
スタッフはウィンクをした。

夕食まで、海でひと泳ぎすることにした。
海までは岸壁に造られたエレベータを使って降りた。
「落ち着くだろう?」
休憩していると、隣り合ったチェアに座っていた紳士が話しかけてきた。
「ええ。ホテルからの眺めもすばらしいですね」
紳士はバカンスのたびにここへやってくる、この宿の常連らしい。
聞けばこのホテル、切り立った崖をくりぬいて建てられているという。
それが、この視界のよさ、現実と切り離された雰囲気を作り出しているのだろう。
自然が造り出したこの景色は、人間業では生み出すことができない。
「ここに来ると、神様になったような気分だよ」
そうつぶやきながら、紳士は寝息を立てはじめた。

この日は、私の誕生日だった。
「贈り物が届いてますよ」
部屋に戻ると、先ほどのウィンクの女性が紙包みを渡してくれた。
あけてみると、五足のくつのスタッフから贈られたシャンパンだった。
ここに宿泊することは話していなかったのに、調べて送ってくれたようだ。
日ごろから、人を喜ばせることの尊さを伝えてきたスタッフたちが、
こんな形で自分を喜ばせてくれた…。

「お誕生日ですか?おめでとうございます。
海もまたMr.Yamasakiを祝福していますよ」
そう言って、彼女が窓の向こうを指さした。
「ホテルとはこう造ればいいんだ」
シャンパングラスを片手に、私は誕生日の晩餐をはじめた。

コンパスの中心

一枚の写真で遠い記憶がよみがえった。
急に降り出した雨を避けるため、ある写真館の軒下に入ったときだった。
ウィンドウにディスプレイされていた一枚の写真に目が留まった。
満開の桜の花の下を、制服の学生たちが並んで歩いている。
それは、卒業式の様子だろうか。
そろそろそんな季節か、と考えていると
卒業を前にヨーロッパへ旅立った友人のことを思い出した。

それほど親しい人物ではなかったから、そうたくさんの記憶があるわけではない。
会話をしたことは、ほとんどなかっただろう。
そんな彼のことをよく記憶しているのは、彼が校内の有名人だったからだ。
彼は幼いころからチェンバロという西洋の古楽器を習っていた。
チェンバロとは、16~18世紀のヨーロッパで
よく演奏されていた撥弦鍵盤楽器で、外見はピアノに似ている。
彼は音楽家としての将来を有望視されており、
本場、ヨーロッパでチェンバロを学ぶだめに、
中学卒業後は留学することになっていた。
その準備ということで、卒業式を待たずに旅立ったのだ。

彼は、その後、どうなったのだろうか。
天草に戻っているという話は聞いていないから、
どこかで、まだチェンバロを続けているのだろうか。
夢を追いかけ、海外へ出る決心をした彼を今でも素晴らしいと思う。
多くの友人も彼のように夢を追いかけ、天草を飛び出した。
天草は日本地図では西の果て、隅っこにある。
あるとき、わたしは地球儀を見ながら
机上にあったコンパスの中心を天草に持ってきてみた。
そこから、ぐるりと円を描く。
コンパスの中心地、天草には、まさにいろいろなものがあった。
山海の恵み、人々の笑顔、
キリスト教が伝来し、南蛮文化が花開いたという歴史…。
そして、目の前に広がる東シナ海は世界へと続いている
それは、ほかのどこにもない天草の魅力だった。

数日後、
彼はまだ、ヨーロッパで音楽活動を続けているらしいという話を聞いた。
彼はコンパスの中心をヨーロッパに定めたのだろう。
そこから描かれる円が天草まで広がってくる日もそう遠くないに違いない。

彼女のかたち

五足のくつの玄関に飾っているしめ縄は、
近くに住むおばあちゃんの手作りの品だ。
幼いころから面倒をみてもらっているので、もう数十年の付き合いになる。
毎年、年末になるとしめ縄を届けてくれ、
新しい年を迎えるのに欠かせないものとなっている。
他地域では、年始しか飾らないしめ縄を天草では、一年中飾っている。
その昔、隠れてキリスト教を信仰していたこの地方の人々が、
表面上は、自分たちは神道であると示すために飾りはじめたのが始まりといわれており、
それが今でも習慣として残っているのだ。

今年もおばあちゃんは、新しいしめ縄を届けてくれた。
となりには、若い女性が並んでいる。
「うちの孫だよ」
はじめまして、と彼女は笑顔で挨拶をした。
「お孫さんが作ったそうですよ。おしゃれでしょう?」
スタッフが、自分用に買ったというしめ縄を見せてくれた。
形はしめ縄なのだが、鮮やかな色のリボンや和紙、
生花などが使われたかわいらしいものだった。
「これだったらお部屋でもいいと思うんです。
私はフラワーアレンジを勉強したんですが、それを天草で生かせないかと思って」
お孫さんは言う。
しめ縄という、古くからの日本の文化の中で形式づけられてきたものに
自分らしさを加えた、新しいものがそこにあった。

「頼りになるお孫さんだね」
「そうだね。私の時代には考えもつかないようなしめ縄だけどな」
おばあちゃんは、口ではそういいながら、うれしそうに笑った。
となりでお孫さんも笑顔を見せている。
その笑顔がそっくりだったのがとてもほほえましい。
ふと、C棟に、お孫さんのしめ縄を飾ってみようか。
そんなことを思った。