父の同級生

先日、私が六代目となる『天草下田温泉 旅館 伊賀屋』に
ご家族連れのお客様がいらっしゃった。
「ご主人はいらっしゃいますか」と聞かれているという知らせを受け、
さっそく私はお部屋に伺った。
私と同年代であろう男性は、このような話をされた。

「この度は、急に一人増えてしまって申し訳ありません。
実は昨夜、私の父が、天草では、どこの旅館に泊まるのか、と聞くので、
下田温泉の伊賀屋旅館だよ、と答えたら、懐かしいなあ、
そこの旅館は、天草農業高校時代の同級生がやっているとこだ。
三十年ほど前に還暦祝いの同窓会をやった。
俺も連れて行ってくれないか。
と言うので急でご迷惑か、とも思いましたが連れてきたのです。
今、隣の部屋にいるので、会ってくれませんか」

その方は、隣の客室で、座布団に正座をして、
テレビの相撲中継をご覧になっていた。
私は、大相撲九州場所をこたつに正座して楽しむ父を思い出していた。

「主人の山崎です。父は、平成十年に亡くなりました」と言うと、
「そうですかあ。同窓会のときは、まだ元気だったけどなあ。
あのときは、たくさん飲んだ。いい思い出ですよ」

「ええ。私もあの日のことは、よく覚えてます。
私の父と、寮で一緒だった人たちは、
夜も寝ずに、24時間飲み続けでしたからねえ。
忘れるはずもありません。
化学製品のアルコールではなくて、本当の焼酎を飲めるのがうれしい、
と皆さん言われてました。ごはんも毎日腹いっぱい食べられて、
日本にこんないい時代が来るとは、夢んごたる、
と本当、皆さん喜んでいらっしゃいましたねえ」

翌朝、私は、
ワンボックスタイプの車に乗り込まれるご家族を見送った。
「必ず、また来ます」と、父の同級生が笑いながら手を振り、
大きな声で言われた。

一瞬、私の目には、その方が父に見えた。
私に「がんばれ!」と言う父の顔に見えたのだ。
懐かしくて懐かしくて、もう一度、父に会いたい、と思った。

 

 

 

 

K様からのおみやげ

実は、私のこのブログには、検閲者がいる。
支配人の中川である。

いくつか推敲してみた。
数か月前、検閲に引っかかって以来、ブログからも離れていた。
また、再開したい。
どうか、このブログを数か月ぶりにアップして欲しいのだが。

*****

中川でございます。修正に数か月かかりましたが、検閲OKです! よかったら下記のブログをお読みくださいませ

*****

今年の春、五足のくつ創業間もないころからのお客様のK様がいらっしゃった。
K様のご両親は、天草のお生まれで、代々天草に伝わる家柄である。
そこで、K一族の源は、天草である、ということを
東京在住のお子様たちに伝えるために天草に来られているという。
これまではご子息とお嬢様とご一緒だったが
今回は、お孫さんもご一緒で、たいへん賑やかであった。

K様は、写真が趣味で、以前、旅の思い出を写真と文章で綴り、
私どもにプレゼントしてくださったのだが、
今では、五足のくつにとっても大変貴重なアーカイブとなっている。
あらためて、その写真集を開いてみた。
10数年前の料理や施設、スタッフなどが懐かしく、心動かされた。

先々週、K様はチェックインされた後、すぐにコレジオに来られて、
「これ、太郎君に」
と、紙飛行機の組み立てパーツを頂いた。
それは、ブルーインパルスで、防衛省監修の大変立派なものだった。
「今、何年生ですか」
「今度、4年生になります」
「じゃあ、もうなんでも器用に作られるでしょう。
こういうのも楽しんで作られると思いますよ」
さっそく、太郎に電話すると、早く持ってこい、と喜んでいた。

これまでも、ジブリ映画の「風立ちぬ」の貴重な紙飛行機や、
さまざまな組み立て飛行機を頂いた。
K様は、紙飛行機の第一人者で、
国内の飛行機関連の団体の要職も務めていらっしゃるのである。

偶然にも、というか、縁あってというか、
太郎は、小さいころから、飛行機に憧れ、
いろんな飛行機グッズを集めている。
映画「紅の豚」をどれだけ観たことだろう。
今では、セリフさえ正確に覚えている。
k様からいただいた紙飛行機をさっそく袋から取り出し、
楽しそうに作っていた。
「パパ、これ見て」
と言って、学校の図工の時間に作った木製の飛行機も見せてくれた。
なるほど、K様が言われた通り、今度4年だからか、器用に作っている。
私は、太郎と、K様からいただいた紙飛行機を持って、
近くの公園へ行き、飛ばすと、
それは我々の想像をはるかに超えて飛んで行った。
太郎は、飽きることなく、何度もブルーインパルスを放り、
空を見上げ、喜んでいた。

↑K様ご一家 天草の夕陽をご堪能中です

↑その際にK様が撮影なさった写真です

↑ご滞在中、サクラが満開でした。こちらもK様撮影です

 

↑喜ぶ太郎!

↑太郎が作った木製の飛行機

 

いかや7代目の太郎

「それにしても、天草は広いなあ」
と、つくづく実感した。

小学三年生になった、長男太郎がイカを釣りたい、と言い、
釣船を紹介してもらったのだが、
その船長さんが大矢野島の串漁港というところに船を係留しているという。
ふだん、私は天草の隅から隅まで知っているつもりでいるが、
聞いたこともない港だった。

早朝6時に下田温泉の自宅を出て
まだ夜の明けない道を迷いながら、ようやく指定された港に着いた。
朝靄のなかに多くのヨットが係留されている初めて見る串漁港は、
どこか外国の別荘地のような雰囲気のなかなかいい感じの港だった。
やがて、船は出港し、右手に雲仙普賢岳、
左手には、天草上島の普段見慣れていない逆からの風景を眺めながら、
湯島沖合を目指した。

↑朝もやに浮かぶヨットのマストがとてもきれいだった

 

湯島は、別名談合島とも呼ばれる。
1637年、天草島原の乱において、幕府軍の目を逃れて、
天草四郎を中心とする一揆勢は、この湯島で作戦の練合、
つまり談合をしていたという史実からそう呼ばれている。

湯島付近には、今はタイ釣りの船団で賑わっていたが、
我々は、餌木を底に沈めて、モンコウイカを狙う。

「イカを釣りてえ」
と、毎日呪文のように唱えていた太郎が頼もしかった。

いかやの7代目の太郎が、ほかの魚ではなく、
とにかくイカを釣ってみたい、と言うのが私にはうれしかったのだ。

私は、下田温泉の旅館伊賀屋の6代目であるが、
もともとは、江戸時代にイカ専門の海鮮問屋だった。
明治時代になって、いかやという旅館を始めたのだが、後に伊賀屋と改名した。
だから、イカは、山崎家にとっては特別身近な魚で、
私の父もよく自ら船を操って、アオリイカを釣って来、
それは決まって深夜で、母が刺身にしてくれたイカを兄弟争って食べたものだ。
「おいしい、おいしい。やっぱり釣りたてのイカはうまかねえ」と喜びながら。
それは、太郎にも遺伝していた。
太郎が重そうにリールを巻きあげると、いい型のモンコウイカが水を噴出した。
笑顔いっぱいで、「釣れたあ!」と叫ぶ太郎の喜ぶ姿を、私は、目に焼き付けた。
楽しい、実に楽しい休日だった。

↑父は餌木を手作りしていた。餌木を持つ太郎の姿に父を思い出した

 

港に戻ると、私は、太郎に
「今度は、でかいタイを釣りに行こうか」と言うと、
太郎は、「今度はアオリイカを釣りたい!」と言いながら
竿をシュッ、シュッとしゃくって見せた。

↑釣果はモンゴウイカ20杯。家族みんなでイカを楽しんだ

 

*****

熊本県・天草市・下田温泉の旅館「五足のくつ」は、九州・熊本の雲仙天草国立公園にある、全室源泉かけ流し天然温泉の露天風呂付き離れの宿です。生ウニや伊勢エビやアワビなど、旬の地魚を使った懐石料理や天草産の天草大王・天草黒牛が人気。白秋らの紀行文「五足の靴」が名前の由来。

父のダイシャリン

「パパ!できたよ。見ててよ」
念願の縄跳びの二重跳びをできるようになって長男の太郎は大喜びだ。
たまに近くの公園にきて、キャッチボールやサッカーを楽しむのだが、
太郎が鉄棒にぶら下がるたびに、私は亡くなった父のことを思い出す。

「見とけよお!今からまわるけんね」
たしかすでに父は40歳を超えていたが、
何人かの近所に住む甥を下田北中学校のグランドに集めて
なんとダイシャリンを教えていたのだ。

ダイシャリンというのは、
体操競技で鉄棒の最初の助走をつけるために行われる
鉄棒を両手でつかんで足を延ばしグングンまわる技である。

父は、前後にまわり、見事な着地をし終わると、
甥たちに「やってみろ」というが、
皆、鉄棒にぶら下がり前後に体を動かすだけで
鉄棒を回ることは誰もできなかった。

父は、体を動かすのが好きで、
下田温泉旅館組合でソフトボールチームを結成したのも、そのころだった。
当時、地元の人たちは麦わら帽子にメリヤス下着、草履を履いて
ソフトボールをしていたが、父は組合員に呼びかけユニフォームを揃えた。
れっきとしたソフトボールチームとして
天草のあちこちのグランドに遠征もするようになった。

小学生になると、私もチームに駆り出されるようになった。
父は、私に体を動かすことを強く勧めた。
現在の五足のくつが建つ土地の下に国民宿舎があったが、
毎朝、私は登校前にその風光明媚な岬の突端まで走った。
何人かの同級生がこれに加わり、
「走る少年」として、NHKテレビにも出演した。
私は、この少年の日の毎朝の体験が
五足のくつをつくるきっかけのひとつになったと思っている。

そういえば、父は、楽器もいくつかこなした。
私のハーモニカを取り上げて、
突然、マイナー調の曲を吹き始めたときは驚いたし、
私が買ってもらったギターやオルガンの弾き初めも父が行った。
ギター片手に「湯の町エレジー」を唄う父の姿をこの文章を書きながら思い出す。
美しい讃美歌をオルガンで奏でた父は、
いったいどこで練習したのだろう。
一度、父に尋ねたことがあったが、父は、
「戦争中も戦後も勉強せんでよかったけん、なんでもできた。自由やった」
と答えただけだった。

晩年、同業者の保証債務を支払わなければならなくなり、
意気消沈した父の唯一の慰めは、酒だった。
あるとき、酔った父は、右手でテーブルを叩いてリズムを取りながら、
なにかを静かに唄い始めた。そして、こうつぶやいた。
「おれは、歌うが上手やねえ。歌手になればよかった」
私は爆笑した。

 

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↑数年前、父のことを太郎に話したくプレゼントしたおもちゃ「大車輪」

 

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夏休みの家族旅行

五足のくつがオープンした15年前は、
よくお客様と酒を飲み、それが仕事でもあると思っていたが、
オープン3周年を迎えたころに、
それは仕事どころかお客様にとっては迷惑であるということに気付き、
以来、夕方には旅館伊賀屋の当直室に籠り、
ひとりチビチビと焼酎のお湯割りを飲むようになった。

ところが、である。

五足のくつについ先月、ご家族でお泊りいただき、
さらにこの正月のご予約までいただいているA様が伊賀屋に何日か滞在されることとなり、
その伊賀屋のお部屋に挨拶に伺うと、私の両手を取られ、
「今回は、私ひとりで泊まりますから、いっしょに飲みましょう!」
と言われた。
最高にうれしかった。

宿の主人と、そのお客様とのつきあいというお互いの立場から推しても、
A様はシャイな方であるということがわかる。
そのA様に手を取られ、飲みましょうと言われると、
飲み友達が少ない私はうれしくてたまらなかったのである。

伊賀屋の当直室で焼酎を飲みながら、
さまざまなことを話したが、私は飲みすぎてほとんど忘れた。
翌日の夜は、支配人の中川も深夜加わったが、
下戸で仕事一筋の中川がA様との会話に熱中し、
なんとこの酔っ払いの私が2時半を指す時計を見ながら、
「もうそろそろ寝ましょう」と二人に言ったのである!

その翌日は、本渡の居酒屋でA様と二人で飲んだ。

A様はビールのジョッキを傾けながら、
「私は、天草を運転していると
前世は天草人だったかもしれないと思うことがよくあります。
それくらい天草とはしっくりくるんです。
特に今回、天草の季節の移り変わり、特にこの夏の風情は、いいですねえ。
幼い頃の夏休みがリアルに思い起こされます」とおっしゃる。

天草人としてはうれしいかぎりである。

次に、A様は焼酎のロックに替えると、
「旅行っていいですよねえ。
私の母は厳しい人でしたが、旅行のときだけは優しくなってくれました」

だいぶ酔ってきた私はA様のこの話に触発されて、
小学生の頃の夏休みの家族旅行を思い起こしていた。

世間様が休まれるときが忙しい旅館を生業としている山﨑家にとって
家族旅行などありえなかったが、
夏休みも残り数日となった暇な時期に
旅行に連れて行ってもらうことが何度かあった。
計画の段階では二泊なのだが、父も母も一泊すると、
伊賀屋のことが心配になり、やっぱり帰ろうというのが恒例であった。
行先は、三井グリーンランドや、別府温泉などの近場であったが、
普段は、旅館の厨房にある冷蔵庫のなかのコーラやジュースを
私たち兄弟が盗み飲んだりすると烈火のごとく怒っていた母が、
旅行のときだけは、なんでも買い与えてくれた。
母の財布が緩むことが私たち兄弟へのせめてもの愛情の表現に思えて、
私は幸せを感じた。
普段、子どものことにはまったく気を遣わない母が宿に頼んで
用意してくれていた「お子様ランチ」が鮮やかな色彩で私たち兄弟の目に映った。

ある時、宿での夕食が終わると、両親は、
下田温泉出身の人がその街で新しく開店させたバーに行くと言って出て行った。
残された姉と幼い弟と、木造の小さな二階建ての旅館の風呂に入り、
部屋に戻ると、弟がチンチン裸のまま窓枠に乗って、
「わあああああああ」と叫び始めた。
ちょうどそのとき、忘れ物を取りに戻ってきた母がその弟の姿に気付いて、
弟が振り向かないように静かに小走りにして弟を抱きかかえ、
私と姉にこれまで聞いたことのない大声で怒鳴ったのだ。

「ちょっとでも今、剛文が足を踏み外したら、
目の前で死んどったぞ!!ちゃんと見とかんか!!」

弟は、幼い胸では受け止められないくらいの母の愛情と、
それによる喜びと安心感と満足を体をもって表現したのだろう、
と私は小学生なりに理解していた。
それほどに旅行先での母は、旅館伊賀屋の女将ではなく、
私たちの「お母さん」になってくれていた。
あの母の温もりが懐かしい。

「旅行先ではその人本来にもどることができるんでしょうねえ」
すでに酩酊状態となった私は、そう呟いていた、、ような気がする。

 

 

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↑小学生のころ三井グリーンランドに連れていってもらった。
左上からいとこ、姉、弟、右が母。
父親が撮影した写真だろう、しかし、一緒にいったはずの私がいない。
なぜだろう?

 

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↑三井グリーンランドのかぶと虫の乗り物の前で弟と姉

 

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↑このときは鬼池港から口之津港へフェリーで渡り、
島原経由で家族旅行を楽しんだ

 

 

 

 

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天草釣り堀レジャーランドでの一日

「天草釣り堀レジャーランド」という施設が大矢野にある。
先週、釣り好きな長男の太郎と行ってきた。

まず、駐車場に到着すると、
青い旗を振ってください、という表示が目に付いた。
なるほど、百メートルほど先にそれらしき施設のある島が見える。

旗を振りながら「おーい!迎えをお願いしまあす」などと叫ぶと、
牧歌的というか、
どこかで読んだ冒険譚の一幕のようにも思えて、来てよかった感が強まった。

島の名前は、権兵島と言うそうだ。

入場料を払い、餌と竿を借りた。
釣り堀とは言っても、海を仕切って筏を浮かべたようなカタチになっていて、
潮の香や風が心地よかった。
さっそく餌をつけて釣り糸を垂らすと、すぐに浮きが沈み、魚との格闘が始まった。
なんと、私は、1キロほどのシマアジを釣り上げた。

太郎が羨ましそうに私を見ていた。
それからは、まったく釣れずに1時間ほど経った。
「潮が悪いんだろ」と言いながら、
周りの人たちも竿を納めて帰る人が多くなってきた。

しかし、よく見ると、皆それぞれにいい型の魚を持ち帰っている。
「太郎、見てごらん。みんな、でかい魚を釣り上げているよ」
と、私が言うと、
「太郎も釣りたいなあ。でも釣れないなあ」と太郎が言うので、
「じゃ、帰ろうか」と言うと、
「いや、釣れるまでいる」と言う。

「午後4時で閉店ですよ~」と、
威勢のいいおばちゃんが叫びながらやってきた。
太郎の不満そうな顔を見ると、そのおばちゃんは、
「今からおばちゃんが魚にワイロをやるからね」と言いながら、
木箱のなかからゴカイを取り出し、太郎の釣り針につけてくれた。

すると、太郎の浮きが思い切り沈んだ。

「釣れた!」と太郎が叫ぶと、
「あわてちゃだめよ。ゆっくりゆっくり。
ダメ、魚が引っ張るときはリールを巻かないで!」と、
おばちゃんが叫び、私も
「太郎、タモでパパがすくい上げるから、
ゆっくりこっちのほうへ連れてくればいいよ」と言った。

真剣な表情で、数分間、魚との格闘をし続け、
ようやく無事に太郎も真っ赤な1キロほどのタイを釣り上げた。

顔をくしゃくしゃにして喜び、興奮する太郎。
帰りの車のなかから自宅に電話をしているときも、太郎は、興奮冷めやらない風だった。

「ママ、でっかいタイを釣ったよ。帰ってから、刺身にして食べるよ」
それからすぐに静かな寝息をたてて眠り始めた。
今日一日の使い方をまちがっていなかったと強く思った。

 

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↑まったく当たりがないときの太郎。
背中がすべてを物語っている・・・
残念ながら鯛が釣れたときは私も興奮して写真を撮る余裕がなかった。

 

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↑釣ってきた鯛を食べる太郎。釣れて良かったね!

 

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↑天草釣り堀レジャーランドでは春先から夏にかけては貝掘りも楽しめる

 

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↑↓貝掘りに来ていた母娘に会った。
たった1時間で人でバケツいっぱいのアサリをとったそうだ。
すごい! 次回は私も貝掘りをしよう

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刺身定食

私は、天草にいるときは、毎日魚の刺身を食べる。
若い頃は、こんなに刺身を食べていなかったが、
年を重ねる毎に刺身を好んで食べるようになってきた。
だんだんと亡くなった父の嗜好に似てきたということか。

車で20分くらいのところに「ひらはた」という居酒屋があり、
毎日のように通っている。
無口な主人夫婦と従業員数名の小さな店だが、
毎日通っても、なんの話もしないでいいのが心地よい。
天気の話さえしない。
私は、「刺身定食ひとつ」「ごちそうさま」というだけ。
ただ、ランチの刺身定食を平げた後、近くのプールで泳いで、
夕方6時ころに再度、「刺身定食ひとつ」と言ったときは、
主人がちょっと驚いた顔をしていた。
だが、そのときでさえも彼は無駄口を叩かないでいてくれた。

今日は、朝から下田温泉祭の打ち合わせのために
「ひらはた」には行けないので、料理長の岩本に刺身を頼んでおいた。

「冷蔵庫に入れておきました」と、連絡があったので、
さきほど楽しみに冷蔵庫のドアを開けてびっくりした。

もちろん天然のタイヤヒラメ、アジ、アオリイカにヤリイカと
大きな鉢に盛られた刺し盛がそこには置かれていた。
ふつうに10人前といってもいいだろう。

私は、炊き立てのごはんを左手にさっそくその刺し盛に挑んだ。

「おいしい!」

ふと、右手に置いてあった鏡に映る刺身を貪る自分の姿は、
幼い頃に見ていた父の姿にそっくりだった。

そういえば、私は昨年、
伊賀屋の代表として同業者の保証債務を支払わねばならなくなった父の年になった。
当時の父に思いを馳せると、さぞや悔しく、孤独であったろうと思った。

大盛りの刺身を食べながら、
少し涙で目が充血している中年男の姿は妙に滑稽だった。

 

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訓練通りに動くべし!

「火災です!、火災です!」
という呼びかけの次に、あのイヤなサイレンが鳴り響いた。
「直ちに避難してください」と放送が続く。

子どもたちが住んでいる熊本のマンションでの出来事だった。

夜の9時半ごろに大勢の住民が避難を始めていた。
私は、三女のうららと長男の太郎の手を引いて、避難場所へ慌てて向かった。
心の中では、こんな大事の日に自分がいてよかったと思っていた。
一方で、これは何かの間違いではないか、という疑いの気持ちもあった。
なぜかというと、その2週間前も、
私たち家族は不在だったが、避難放送の誤作動があったのを私は承知していたからだ。
しかし、避難所に二人の子どもを誘導しながら、119番へ私は通報した。

「火は見えますか」
「煙の臭いはしますか」

このような質問には「いいえ」であったが、
避難放送は鳴り響き、住民は避難している。
そして、そういった周辺状況よりも、
30年間、旅館業を職業として火災の怖さを認識するとともに、
年に何度も訓練していると、
火災発生時の行動については体が勝手に訓練通りに動いてしまう。
ましてや、私は、消防団に20年近く在籍し、
実際の消火活動も経験しているのである。

それから数分、消防車が数台、救急車が数台到着し、
クレーンを使っての火元の確認なども行われた。
野次馬が大勢いるなか、
「第一通報者の山﨑さん、直ちに来てください」
と、放送され、私は、説明に向かった。
結果的には、避難放送の誤作動であったので、うららは、
「パパ、消防車呼ばなくてもよかったのに」
そのときは、私は「そうだね」と答え、
翌日は、管理人さんに
「お騒がせして申し訳ありませんでした」と謝罪に言ったが、
その何日か後に、どこかの地方都市のマンション火災で、
子供が何人か死亡したというニュースを見たときに、
やはり、あのときの自分の行動は間違っていなかったのだと思った。

昨年の熊本地震から一年が経った。

五足のくつ、伊賀屋では、
それまでの災害避難マニュアルを見直し、新たに作成した。
「何が起こるのかわからない」のである。
備えなければー

 

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↑この春、五足のくつと伊賀屋では、危機管理マニュアルを作成した

 

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↑後日、マンションに張り出された誤作動を報告した用紙

 

 
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まりやインブルー その2.

4月1日に、次女のまりやは関西の予備校の寮に入った。
妹のうららや、弟の太郎との別れ際、
普段はあまり感情を表に出さない彼女がこんなことを言った。

「私、うつ病になるかもしれん」

そのとき、多分、まりやは、
「さびしい!!」
と言いたいのだろう、と私は思った。

その日は、家族で大阪に宿をとった。
あの羽生弓弦選手が、
フィギュアスケート世界選手権で世界最高得点を獲得した日だった。
ホテルの一室で観戦していると、うららが、
「まりやは、羽生選手の大ファンなのに、
こんな凄い試合を観ることもできずに、
あの静かな寮で、今頃、勉強しているのかなあ」
と呟くが、家族のだれも答えなかった。

羽生選手が表彰台の上で、
金メダルを掛けられ感極まる姿が映された。
すると、うららが、
「とってもうれしいんだろうなあ」と呟いた。
それに答えて私は言った。

「自分の志望大学に受かった時っていうのはね、
今の羽生選手と同じくらいうれしいんだよ。
テレビカメラで映されることはないけどね。
特に、一度、不合格という現実を経験した人は、
もう自分は試験に受かることはないんじゃないか、
というような妄想に苦しまされたりしているから、
一層うれしいと思うよ」

「へえ。じゃあ、まりやも来年は、
前みたいにおなか抱えて笑うようになるってことね。
うつ病の心配はしなくていいね」
ちょっと安心したようにうららが言った。

 

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↑次女のまりやが小学生のときに書いた作文。以来、今も事務所のデスクにはさんでいる

 

 

 

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まりやインブルー その1.

「まりや、映画を観に行こう」
大学の春休みで自宅に帰ってきていた長女の華子が妹のまりやを誘う。
「まりや、『SING』観たいって言よったろ。絶対おもしろいけん行こう」
三女のうららも姉のまりやを促す。
だが、返事はない。

次女のまりやは、志望大学に不合格となったときから毎日、
昼過ぎまで自室に籠ったままである。

その日、しかたなく私たちは三人で映画「SING」を観に行った。
「SING」の主人公のバスタームーンは、
父親から譲られた劇場を何よりも愛していた。
しかし、かつては栄えていた劇場もすでに客足は途絶え、
閉館も余儀なくされようとしていた。
そんな劇場を守るべく一念発起、
バスタームーンは史上最大の歌のオーディションを企画する。
そこに集った訳アリの歌手たち。
皆それぞれ歌の才能は溢れているのだが、
それを阻む心の問題を抱えている。
しかし、自分の夢を叶える最終オーディションに向けて
人生で初めて自らを励まし、ポジティブに挑むのだが・・・

超楽天家の劇場主人バスタームーンでさえも絶望する事態に直面する。
そこから物語は大きく展開していき、
ラストの感動シーンを迎える。

上演後、華子が
「やっぱり、まりやに観せたかったなあ」と言うと、
「これは、まりやにはグッドタイミングだけん。
これを見たら、また来年に向けて頑張ろう!という気持ちになるよ」
小学生のうららが無邪気に答えた。

自宅に戻ると、まりやはひとりでごはんを食べていた。
「『SING』おもしろかったよ!」
と二人が言うと、すこし間を置いて、まりやが言った。

「私、結婚したい」
華子が驚いて、
「だっ、だれと!!」
まりやは、
「羽生君と」

羽生君とは、あのフィギュアスケートの羽生弓弦選手のことのようである。
みんな、息ができなくなるくらい笑った。

 

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