旅っていいですネ

令和4年7月6日
私は、「日本味の宿」の定期総会に出席するため熊本空港にいた。
確か令和元年11月以来の上京である。
長いコロナ禍だったなあ、などと思いながら空港のカフェでコーヒーを注文した。

その瞬間、すでに、私はワクワクな気分だった。楽しいのである。
これから飛行機に乗って東京へ行くということが。
機内でも本を読みながら楽しく過ごし、富士山も見ることができた。
モノレールの窓から見える湾岸の景色は新鮮で、
銀座の街を歩いているときは、すれ違う人たちに声をかけたい衝動にさえ駆られていた。
なんて楽しいのだろう。
ホテルにチェックインすると、ベッドに大の字に寝そべり、自然と笑みが漏れた。
「あー、これが旅の醍醐味だったなあ」ひとりで空想を巡らす。

総会会場には無沙汰していた同業者たちがすでに揃っていた。
やはり皆、いい顔をしている。上機嫌なのだ。
マスコミの方々も多く見えられ、顧問の柏井先生の挨拶が始まった。
やはり先生も京都から東京に向かう道中での「なぜかワクワク」の話をされていた。
皆、同感の相槌を打っていた。

やはり旅は楽しい。
移動し、その先で人に出会い、ごはんを食べ、酒を酌み交わす。
もうそれだけで私たちの体は軽くなり、心は踊りだす。
なんて幸せなんだろう!!

 

 

虫追いまつりの一日

今朝、令和4年7月4日は、朝から雨である。
昨日の曇り空の日曜日に「虫追いまつり」を開催してよかったと思う。
下津深江神社本殿に氏子総代が十数名集まり、
宮司さんに祝詞を挙げていただいて玉串を奉納する正味30分の神事だが、
下津深江神社の大事な伝統行事である。
昔、農家が多かった時代に農作物を食べにくる害虫を
村に寄せ付けないためにはじまった神事である。
今では、専業農家は一軒もないが、神様にお願いし、触れ合う大事な神事である。
ただ、氏子総代か、その経験者以外の住民たちは、
そのようなまつりが毎年行われていることさえ知らない。
そこが、また面白い。

↑五足のくつでも、毎年、害虫がはいってこないように「虫追いまつり」でいただいた御幣で結界を作っている

↑虫追いまつりでは、御幣を村や田んぼの四方に配置し、ここから先には害虫が入ってこないようにと、結界を作る。

毎年、朝早くから神社の掃除をし、神事を行った後に行う、
直来(なおらい)という神様に奉納した酒や食べ物を神様とともに頂く
会食の神事の際には、なにか秘密の儀式を行っているような気になってくるのだ。
外は暑く、表通りを歩く人さえまばらな時に、昼間から酔っぱらって
何でもないような地域の出来事を年寄りたちとともに笑い倒す快感はやめられない。
氏子総代の平均年齢も80歳近くで、還暦の私が一番の若手だったが、
今回、54歳の漁師の西本君が入ってくれた。
歓迎会を兼ねての直来にしたかったが、今年は、コロナの感染予防のために中止にした。

残念だったので、気持ちを取り戻そうと、私は散歩をすることにした。
五足のくつのお客様方のチェックインが早かったので、
夕方4時に下津深江川にそって山のほうへ向かって涼しい風のなかを歩いた。
歩いているときに、アサヒビールの営業の人が、
20周年のお祝いにと缶ビールを2本くれたことを思い出し、
五足のくつへ一旦戻り、鬼海ケ浦のウッドデッキに座ってゴクゴク飲み始めた。

「なんという絶景だろう!!」
やがて曇り空の雲の切れ間から時々、太陽が強い光を放つ。
それがだんだんと茜色になるとともに、静かになり日は沈んでいった。
時計を見ると、19時半。まだ歩けるぞ、と言い、
左手に東シナ海と広い空が織りなす妖艶な世界を楽しみながら家路へ着いた。

 

幸せの呪文

もう梅雨が明けた。
報道では、異常な熱波などと騒いでいる。
しかし、天草で暮らす私には、そんなことは無縁である。
まず、午前は五足のくつにいるので、木陰に吹くそよ風が涼しい。
とても快適で、クーラーも不要だし、汗もかかない。
誰にも邪魔されず読書に励んでいる。
生い茂った樹木の陰から覗く真っ青な空と藍色の海は目が覚めるような輝きだ。
東シナ海に沈む夕日はここ一週間ほど毎日美しい。
夜になると、私は散歩を楽しんでいる。空一面に散りばめられた無数の星を見上げながら、物思いに耽っていた少年のころの自分と今の私が、まったく変わっていないことに気づき、人間の成長などというのは錯覚に過ぎなかったのだとほくそ笑む。
なにかに成ろうとする必要はなかったのだ。

ところで、今日令和4年7月1日、五足のくつは、20周年を迎えた。
ひとり静かに苔むす石畳を歩きながら喜びに浸った。心は満ち足りている。

「天草に生まれてよかった」何度か小さく呟いた。
この言葉を唱えていたら、この土地に出会った。
「天草に生まれてよかった」
この言葉を唱えていたら、五足のくつをつくることができた。
「天草に生まれてよかった」
創業間もないころ、いつもこの言葉を唱えながら木を植え、
その成長を祈り、一日でも早く深い森になることを願った。
「天草に生まれてよかった」
これからも私は、念仏のようにこの言葉を唱え続け、
石山の森と、五足のくつの海を歓び眺めながら果ててゆくのだろう。

******

おかげ様で20周年を迎えることができました。
誠にありがとうございます。
どうぞ今後とも何卒よろしくお願いいたします。

そして、周年ごとに「熊本日日新聞」に一面カラーの広告を出す

これが創業時の目標でした。20周年となる本日、広告を出すことができました。

重ねて感謝申し上げます。ありがとうございます。

 

石山離宮 五足のくつ オーナー 山﨑博文

ありがとうございます!!!

今朝の天草は、快晴で、太陽の眩しさやセミの甲高い鳴き声は、もう夏真っ盛りを思わせる。

本日、令和3年7月1日、五足のくつは創業19周年を迎えた。
「十九の春」という歌があるくらいだから、
多くの人にとって、19歳というのは、若い屈託のある、
悩み多きことの噴出する時期なのかもしれないが、
私には実に感慨深い。昨日から唸りっぱなしである。

なぜならば、私の人生において、19歳というのはまさにエポックメイキングな年で、
人生初の大失恋を経験し、苦しみ、そのおかげで、それまでの平平凡凡な私から、
チョットだけモノがわかる男に変容し始めた感謝すべき年で、
この19歳での失恋という痛手を経験しなかったならば、私は、変容することもなく、
幼いままの馬鹿な男になっていたに違いない、と思い、ぞっとする。

それから10年後の29歳のときに、今の五足のくつが建つ土地を購入したのだが、
昨晩、焼酎を飲みながら当時を振り返り、
その10年間のあまりの濃さに、出来事の展開の派手さにあらためて驚いた。

「わずか10年間でこんなに多くのことを体験したのか」

そして、それは、さらに10年後の39歳のときの
五足のくつオープンまでの10年間に対しても、同じ驚きを持った。
「こんなに多くのことが凝縮された10年間を生きていたのか」

私は、19歳大失恋、29歳五足のくつの土地購入、39歳五足のくつオープンと、
9の付く年に大きな出来事があったので、
49歳になる年にはなにを体験するのだろう、と楽しみにしていたが、
何もなかったーという解釈で今まで済ませていたが、
先ほど、スタッフを集めて19周年のミーティングをしていて気が付いたのだ。

私の49歳の年は、
五足のくつ10周年を無事迎えることができた素晴らしい年であったのだということに。

「そうか、感謝する気持ちが薄れていたから、こんな大事なことを忘れていたんだ」

今年、10月に私は、59歳となる。9の付く大事な年だ。
無事、20周年を迎えられるよう祈ろう。
そして、今日の19周年を迎えることができたことを、
これまでお泊りいただいたすべてのお客様に感謝したい。
さらに、これまで支えていただいたすべての方々に心から感謝申し上げたい。

ありがとうございます!!!

 

 

コロナⅢ

コロナ騒ぎで時間感覚が変になっている。
騒動前の頃が、はるか昔話になっているのは、とても不思議なことだ。
騒動以来、一日一日、濃い時間を過ごしてきたからだろうか。
だから、おそらく時間的には不確かながら、
7、8年くらい前から、ここ数年、絶景ブームというのが続いてきたことも、
どこか違う世界での出来事のように思える。

当時(!)、本屋さんの店頭には、
世界の絶景写真集などがうず高く積まれ、テレビでも、日本国内のみならず、
アフリカや南米などの絶景を紹介する番組が多く放映されてきた。
私は、この絶景を求める消費者の心理は、自己を啓発し、
自己実現を外に求める人の心理とシンクロしていたのだろう、と思っている。
実際、本屋さんの店頭の絶景写真集の横には、
それに劣らず、いわゆる成功本が多く並べられていたし、
テレビの絶景番組の裏では、銀行や、法曹界や、医学界や、
航空業界でのエリートの活躍する番組が多く放映されていたからだ。

広い広い平原の彼方や、海原の向こうに獲物を見つけ、それを捕らえ、食む。
我々人類に伝えられた狩猟の民としてのDNAが、
疼き、発露されていたのだろう、と言ってもいいと思う。

いずれにしても、このブームを支えていたのは、
安定した世界経済、日本経済であったことに異論をはさむ人はいないだろう。

話は変わるが、一昨年、私は、船井総研が主催する旅館セミナーに出席した。
隣の席に座る品のいい若い経営者と、名刺交換したのだが、
差し出された名刺を拝見して、私は、「おう」と唸り、少しのけぞった。
マスコミには登場しないが、長年、高稼働を維持する伝説の、
と枕詞をつけたくなるほどの名旅館の御曹司だったからである。

「父の時代は順調にきましたが、やはり時代の流れを知る必要を感じて、
今日は出席しました」と言う。

旅館創業者というのは、頑固である。
自分の作品と向き合う姿は、職人のそれとどこか似ているかもしれない。
しかし、二代目になると、
充分すぎる教育環境に身を置き、知識や教養も身に着けて、
とてもソフトな語り口の経営者が多い。
彼も、そのタイプのようだった。
さっそく、セミナー後に一杯行こう、と誘った。

↑天草の絶景スポット『西平椿公園』

↑西平椿公園のアコウの木。映画「天空の城ラピュタ」に出て来る木のようだとされ「ラピュタの木」と呼ばれている

↑そこでお弁当を食べる私、山﨑博文「あ~、幸せ!」

 

 

 

コロナⅡ

緊急事態宣言が出され、長男の太郎も小学校が長期の休みとなった。
おかげで、親子の会話がとても増えた。

新聞などで「コロナ」という文字を見ると、太郎は、
「パパのパパが最初に買った車はコロナだったよね」と言う。
「そう、トヨタコロナ」と、私が答えると、
「おじいちゃんは、何のためにコロナを買った?」と、笑いながら聞いてくる。
私の答えを知っているのだが、その答えを聞きたくて聞いてくるのだ。
「自動車学校へ通うためだよ」と、いつものように私が答えると、
文字通りおなかを抱えながら笑い、
「自動車学校へ通うのに自分で車を運転して行ってたの!」と、いつものように言う。
「まだ自動車学校の送迎サービスがなかったから、
下田温泉の人たちを何人か乗せて行っていたみたいだよ。
パパが小学生のときは、パパにも自動車の運転の仕方を教えてくれて、
お前は、運転がうまい、って褒めてくれたよ。
たしか、そのころ、乗っていたのはニッサンセドリックだった。
夏休みは、荒尾の三井グリーンランドのゴーカートに一日中乗せてくれた。
だからかなあ、パパは、今でも車の運転が全然苦にならない。
どころか、東シナ海を眺めながらの運転は、いくつになってもやめたくないなあ」

私は、太郎を助手席に乗せて、夕日を見に行くことにした。
晴天続きで、毎日、海に溶け込む太陽に心惹かれる。

 

 

 

コロナ

連日のコロナウイルスの報道のなか、2月22日、23日の連休は、
五足のくつは、おかげさまで満室だった。
とてもありがたいことである。
これまで、インバウンドのお客様はほとんどなく、
国内のお客様頼りで営業してきたから当然といえばそうかもしれない。

ところで、熊本県内のテレビ、新聞の報道では、
「コロナウイルスの影響で、連日、各地の観光地に人影まばら」などと報道していたが、
驚くべきことに、五足のくつの下のブルーガーデン前の駐車場は
2月23日、24日午後は、いつもの連休と変わらない、
いや、いつも以上の人出だった。
もちろん、だれもマスクなどしていない。
海岸の磯場は、釣り人で賑わっていたし、
そのあと、23日の午後に私は、熊本市へ向かって車を飛ばしたが、
上天草市付近では、渋滞がひどく、
熊本市からの日帰りで天草観光のお客様も多かったことがうかがえた。
さらに、ゴールデンウイークでも、宇土から熊本市への国道が混むことはないのに、
昨日はほとんど車は進めないような込み様だった。

「いったい、どういう人の流れになっているのだろう」
翌日、そのような疑問を抱きつつ、テレビを見ていたら、
八丈島への観光客がなんと通常の4倍に増えている、と報道していた。
八丈島に船で渡り、コロナウイルスへの心配も忘れて、
十日ほど仕事も持ち込んでのんびり滞在する人たちが大勢いるという。
「マスクをしないで、のびのびとエスケープしたいんです」
テレビの画面では、お客様の一人が、白い歯を見せながら笑って言っていた。

熊本市での私の行きつけの角打ち、堤酒店で、
私は、天草や、八丈島の話をした。
すると、マスターが、「大丈夫ですバイ。熊本は気温が上がって、もう春ですもん。
神風が吹いたようなもんでしょう。
あったかくなったら、風邪もひかんようになっでしょう。
熊本城にももうすぐ桜が咲きますけん、
熊本地震も乗り越えてきたじゃなかですか」

店を出ると、たしかに、もう春の風が吹いている。
自然に任せよう、とほくそ笑んだ。

 

 

 

 

長崎への小旅行

天草崎津集落の世界遺産指定の影響もあってか、
天草西海岸の観光地は、この秋はとても盛況だったようだ。
五足のくつも、伊賀屋旅館もおかげさまでたくさんのお客様にお出でいただいた。
働き方改革の時代である、
どちらの旅館も12月初旬に三日間の休業を決め、
施設&スタッフ充実日として、修繕工事などを行った。

「じゃあ、私は、長崎へ行って、
レストランで使うコースターなどの小物を買いに行ってきます。
前からインスタで気になるお店がありますから」
と、支配人の中川が言うので、私は、
「じゃあ、久しぶりにター坊のすし屋でランチでもしようか」と提案した。

ター坊は、私のいとこで、
長崎で『鮨好(すしよし)』というすし屋を営んでいる。
カウンター4席のとても小さな店だが、味は素晴らしい。

この店のことを考えると、
格付け機関などの情報ソースなどに引っかからないのがとても不思議だ。
地元長崎の人たちでも、今回の小旅行で出会った人たちが、
「ランチはどこで?」と尋ねるので、「小江原の鮨好で」と答えると、
「天草のほうがおいしいお寿司屋さんはあるでしょうに」と言う。
情報のブラックボックスに落ちたような感覚だ。
逆に、自分の舌だけを頼りに、この店にたどり着いた、
この店の常連の方々というのは、やはり超のつく魚好きと言えると思う。

カウンターの席に座ると、ター坊は、スマの中落ちを削り、
カラシをつけて出してくれた。
キハダマグロを切っているところを眺めていた中川が、
肉みたいに綺麗ですね。というと、
ター坊が、「そら魚に失礼ですばい」と返していた。

造りは、大胆にも1キロ半ほどのスマを厚切りにして
背面全部をカラシでいただく。
「ポン酢やったら旨うなか魚も旨くなるけん。
だいたい日本人は、魚はわさびじゃなく、カラシで食いよったとよ。
小林一茶の弟子がそがん俳句ばつくっとったろ」

スミイカの握りは、やはりでかいミズイカよりもはるかに繊細である。
橘湾のアカアシエビで包んだシャリの温度の加減のよさ。
有明海のコハダは、脂がのって、下の上をつるっと滑って流れていった。

帰りは、バスを乗り継いで茂木港へ。
夕方5時発の船に乗った。
天草の富岡港を朝9時15分の出港だったから、
わずか半日で、充分すぎる小旅行ができた。

海が凪いだ日の朝、「どうですか」と、
お客様に提案したい一日の過ごし方である。

五足のくつの一行も使った、茂木、富岡線に乗るだけでも、
港の待合所で船を待つ人たちの、その旅の目的に思いを馳せるだけでも、
すてきな旅情につながることは、間違いない。

 

↑キハダマグロ。ぜひ食べていただきたい。
そして、このあとの料理は食べることに熱中してしまい、
写真を撮りそこなってしまった。

 

 

 

 

父の同級生

先日、私が六代目となる『天草下田温泉 旅館 伊賀屋』に
ご家族連れのお客様がいらっしゃった。
「ご主人はいらっしゃいますか」と聞かれているという知らせを受け、
さっそく私はお部屋に伺った。
私と同年代であろう男性は、このような話をされた。

「この度は、急に一人増えてしまって申し訳ありません。
実は昨夜、私の父が、天草では、どこの旅館に泊まるのか、と聞くので、
下田温泉の伊賀屋旅館だよ、と答えたら、懐かしいなあ、
そこの旅館は、天草農業高校時代の同級生がやっているとこだ。
三十年ほど前に還暦祝いの同窓会をやった。
俺も連れて行ってくれないか。
と言うので急でご迷惑か、とも思いましたが連れてきたのです。
今、隣の部屋にいるので、会ってくれませんか」

その方は、隣の客室で、座布団に正座をして、
テレビの相撲中継をご覧になっていた。
私は、大相撲九州場所をこたつに正座して楽しむ父を思い出していた。

「主人の山崎です。父は、平成十年に亡くなりました」と言うと、
「そうですかあ。同窓会のときは、まだ元気だったけどなあ。
あのときは、たくさん飲んだ。いい思い出ですよ」

「ええ。私もあの日のことは、よく覚えてます。
私の父と、寮で一緒だった人たちは、
夜も寝ずに、24時間飲み続けでしたからねえ。
忘れるはずもありません。
化学製品のアルコールではなくて、本当の焼酎を飲めるのがうれしい、
と皆さん言われてました。ごはんも毎日腹いっぱい食べられて、
日本にこんないい時代が来るとは、夢んごたる、
と本当、皆さん喜んでいらっしゃいましたねえ」

翌朝、私は、
ワンボックスタイプの車に乗り込まれるご家族を見送った。
「必ず、また来ます」と、父の同級生が笑いながら手を振り、
大きな声で言われた。

一瞬、私の目には、その方が父に見えた。
私に「がんばれ!」と言う父の顔に見えたのだ。
懐かしくて懐かしくて、もう一度、父に会いたい、と思った。

 

 

 

 

K様からのおみやげ

実は、私のこのブログには、検閲者がいる。
支配人の中川である。

いくつか推敲してみた。
数か月前、検閲に引っかかって以来、ブログからも離れていた。
また、再開したい。
どうか、このブログを数か月ぶりにアップして欲しいのだが。

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中川でございます。修正に数か月かかりましたが、検閲OKです! よかったら下記のブログをお読みくださいませ

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今年の春、五足のくつ創業間もないころからのお客様のK様がいらっしゃった。
K様のご両親は、天草のお生まれで、代々天草に伝わる家柄である。
そこで、K一族の源は、天草である、ということを
東京在住のお子様たちに伝えるために天草に来られているという。
これまではご子息とお嬢様とご一緒だったが
今回は、お孫さんもご一緒で、たいへん賑やかであった。

K様は、写真が趣味で、以前、旅の思い出を写真と文章で綴り、
私どもにプレゼントしてくださったのだが、
今では、五足のくつにとっても大変貴重なアーカイブとなっている。
あらためて、その写真集を開いてみた。
10数年前の料理や施設、スタッフなどが懐かしく、心動かされた。

先々週、K様はチェックインされた後、すぐにコレジオに来られて、
「これ、太郎君に」
と、紙飛行機の組み立てパーツを頂いた。
それは、ブルーインパルスで、防衛省監修の大変立派なものだった。
「今、何年生ですか」
「今度、4年生になります」
「じゃあ、もうなんでも器用に作られるでしょう。
こういうのも楽しんで作られると思いますよ」
さっそく、太郎に電話すると、早く持ってこい、と喜んでいた。

これまでも、ジブリ映画の「風立ちぬ」の貴重な紙飛行機や、
さまざまな組み立て飛行機を頂いた。
K様は、紙飛行機の第一人者で、
国内の飛行機関連の団体の要職も務めていらっしゃるのである。

偶然にも、というか、縁あってというか、
太郎は、小さいころから、飛行機に憧れ、
いろんな飛行機グッズを集めている。
映画「紅の豚」をどれだけ観たことだろう。
今では、セリフさえ正確に覚えている。
k様からいただいた紙飛行機をさっそく袋から取り出し、
楽しそうに作っていた。
「パパ、これ見て」
と言って、学校の図工の時間に作った木製の飛行機も見せてくれた。
なるほど、K様が言われた通り、今度4年だからか、器用に作っている。
私は、太郎と、K様からいただいた紙飛行機を持って、
近くの公園へ行き、飛ばすと、
それは我々の想像をはるかに超えて飛んで行った。
太郎は、飽きることなく、何度もブルーインパルスを放り、
空を見上げ、喜んでいた。

↑K様ご一家 天草の夕陽をご堪能中です

↑その際にK様が撮影なさった写真です

↑ご滞在中、サクラが満開でした。こちらもK様撮影です

 

↑喜ぶ太郎!

↑太郎が作った木製の飛行機